
(via konishiroku)
深夜にパチスロの番組をやっていて、「なんたらが何色だと、何分の何の確率で当たるので”それを引いてください”」っていうのよね。美人のチャンネーが…
Jくんも朝一確変やら、台と釘と回転率の話をしてくれたというのもあるんですが、基本的には偶然の結果を因果関係で説明するべきではないと僕は思うんですよ。というのもパチスロで狂ってった人間の多くが確率論と統計学を混同し始めてると思うからです。当たるか当たらないかというのは一回スロットするごとに独立した事象だから何回まわってるとかいうのは全く関係ないのでは…とか。ヨクワカランなりに僕は思ってるわけです。
…
凄さに全然気づいてなかった。
(via mcsgsym)(via suzukichiyo)

(Source: namobani, via suicideklatch)
(via otsune)
(via suicideklatch)
きっとこの調子で撮り続けたら、見返すのに自分の人生の後半戦を使い果たしてしまいそう。SDカードからハードディスクへ。ワンタッチで保存されていく膨大な写真の束をはじめ、<いま、ここ>に至るまでの枕木の数ほどの点列が、実際に体験したことをスポイルしていく気がする現代。
めっちゃめちゃびっくりして、で、差しっぱなしのSDカードのメモリいっぱいになったらどうするの、って聞いたら、お気に入りの写真だけ残してあとは削除するんだそうで……。研究室の椅子からひっくり返ったわ。1年ぐらいそれ繰り返して、メモリーの中に「よりぬきサザエさん」みたいな傑作集が自然にできあがっているのだ。
要するにこいつら、デジカメの裏側の液晶ファインダをピクチャーフレームみたいにして使ってるんだよ。デジカメでデジカメの写真見てるの。パソコン使わないの。なんかこのへんに新製品のヒントがあるんちゃうかとも思いますけども。それにしてもそういう目的で液晶付いてるんじゃねーよ。1000万画素とかまったくムダやんか。
” —おれは、これまで撮った写真は一枚も消してないし、PCに保存して、RAW現像したり、Photoshopで加工したり、プリントしたりしている。つまり、これらの学生とはまるで違った写真との付き合いをしているのだけど、こうしたカメラだけで完結するような写真の撮り方に別に驚かないし、こういう楽しみ方もあるよな、と理解できる。それどころか、自分もこういうことやってみたいとすら思う。いや、いずれそうなるだろう。カメラとかPCみたいな重苦しい機械から、写真は自由になるべきだ。たとえばカメラ内にテラバイト単位のストレージがあり、ディスプレイが300dpiで4Kとかの解像度をそなえてたら、誰がわざわざPCに保存するもんか。別にカメラがストレージを持って無くても、常にネット接続されていて撮った写真は即座にオンラインのストレージに保存されればいいわけだし。手札判の印画紙に焼いた何枚かの写真を大事にアルバムに貼って、おりおりにそれを眺めるという生活も、ネットに大量に放流した写真がrblgされて思いがけない時に思いがけないところでそれを目にするという事態も、写真を楽しむという意味では同じことだと思う。
(via uchiharayasuhiko) (via send) (via ak47) (via sakaue, kashino) (via rokugatuippi) (via dannnao) (via y1s) (via flatmountain) (via hanadorobou) (via misoka)
みかえすとまた一生分かかりそう
写真の束抱え 思い出捨ゆく